バイオグラフィー

(Photo Honens/Nathan Elson)

2018年カナダ・ホーネンス国際ピアノコンクール優勝

○2019年2月カーネギーホールでリサイタルデビュー。今後、ウィグモアホール(ロンドン)、コンツェルトハウス・ベルリン、ケルナーホール(トロント)でのリサイタル、ホーネンスおよび英国の名門レーベル・ハイペリオン各レーベルによるCDの録音、ロンドン・フィルとの共演や世界各地の著名音楽祭への出演が予定されている。

○作曲家としても広く活躍し、現代美術家で抽象画家のファビエンヌ・ヴェルディエ(Fabienne Verdier)の映像作品“Walking painting”やエクサン・プロヴァンス音楽祭(仏)に関連して制作されたショートフィルム“Nuit d’opera a Aix”にも参加。

○1992年ジョージア生まれ、幼少期に家族でハンガリーへ移る。ブダペスト、ウィーン、フィレンツェの音楽大学を経てニューヨーク・ジュリアード音楽院修士課程に入学。現在はニューヨーク市立大学大学院センター博士課程に在籍しながら、ニューヨーク市立大学クィーンズ校にて教鞭もとる。これまでにピアノをエマニュエル・アックス、ヨヘヴェド・カプリンスキー、ゾルタン・コチシュ、マッティ・ラエカッリオ、エリソ・ヴィルサラーゼ各氏に、作曲をジョン・コリリアーノに師事。

ホーネンス国際コンクールとはどんなコンクールなのでしょうか?

「21世紀の聴衆のための21世紀の芸術家」の発掘と育成を標榜するユニークな国際ピアノコンクール

1992年から3、4年毎にカナダ・カルガリーで開催されており、優勝者には100,000カナダドル(約850万円)と世界の主要ホールでのリサイタルデビューやハイペリオンレーベル(英)からのCDデビューを含む3年間のキャリアサポートが約束されている。その他の特色としては、65分のソロリサイタルとは別に弦楽器・金管楽器・声楽家とのアンサンブルリサイタルも必須とされること、ソロリサイタルのプログラムは自由度が高く現代曲も組み入れることが推奨されていること(アンコールも可!)、加えて事前に行われた予選ラウンドではソロ演奏のほか英語によるインタビュー、そして本選に選ばれた3名も15分間のインタビューが課せられ、それらすべてが審査の対象として考慮されていることなどが挙げられる。出場者には演奏技術だけではなく、国際的に活躍するプロショナルな音楽家として必要な素養が備わっているかどうかも問われるというわけだ。

2018年のコンクールでは、芸術監督としてジョン・キムラ・パーカー氏、審査員としてアンドレ・ラプラント、アレッシオ・バックス、イングリット・フリッター各氏他、国際的に活躍している現役ピアニストを中心に、欧米の音楽祭やオーケストラのマネジャーも招かれていることも特筆に値するだろう。審査終了後にセミファイナルおよびファイナル参加者全員が審査員およびメンター(2018年はギャリック・オールソン氏)から直接アドヴァイスをもらえることにも、コンクールを一過性のものとして捉えていない姿勢が伺える。過去にはパヴェル・コレスニコフ、クシシュトフ・ヤブウォンスキ、ジャン=エフラム・バヴゼ、セルゲイ・ババヤン各氏も受賞している(但し2012年以降の回では優勝者のみ選出され、その他の参加者には順位はついていない)。

https://www.honens.com/

創設者 エスター・ホーネンス

ピアノとカルガリーの街を愛していたエスター・ホーネンス女史は、25年間宝石商のオフィスマネジャーとして働きながら賢い投資を行った結果、かなりの財産を手に入れ、将来カナダで何世代にもわたって楽しまれる素晴らしい音楽の遺産を作り出すことを考えるようになった。

1991年、残りの人生が長くないことを知った彼女は、故郷の街カルガリーで国際ピアノコンクールを創設するために500万カナダドル(現在のレートで約4億4,000万)を寄付した。彼女の願いは、このコンクールが若い音楽家が活躍するためのきっかけとなり、また街の人々の大きな誇りの源となることであった。迅速に審査員が集められ、芸術監督が任命された。彼らの挑戦は、パーキンソン病に侵されているホーネンス女史が生きている間に第1回のコンクールを開催することであった。

1992年11月、89歳だったホーネンス女史はジャック・シンガー・ホールに特別に設けられた部屋でファイナルコンサートを見届け、その5日後にこの世を去った。

各誌批評

“桁外れの芸術家”

 エマニュエル・アックス

“その強固な構想力と完璧な芸術性に脱帽するしかない”

ゾルタン・コチシュ

“煌めきと繊細さ、そして色彩に溢れている”

ニューヨーク・タイムズ

“比類なき、ピアニストの中のピアニスト”

カルガリー・ヘラルド

プログラム・公演日程

スイーツタイムコンサート

日時:2019年6月4日
場所:宗次ホール
13:30開演(13:00開場)
一般自由席:¥2,000
チャリティシート(※):¥2,200
(※)宗次ホールチケットセンターのみで取り扱いとなります。

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演目

スクリャービン ソナタ 第9番 Op.68 ≪黒ミサ≫
バッハ シンフォニア 第9番 へ短調 BWV795
バッハ パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
シューマン アラベスケ ハ長調 Op.18
シューマン 暁の歌 Op.133
ナモラーゼ アラベスク(2018)
ナモラーゼ 練習曲第1,2,3番 (2015-2017)

主催:宗次ホール
協力:The Honens International Piano Competition & Festival

宗次ホールチケットセンター
TEL:052-265-1718

チケットぴあ TEL:0570(02)9999
栄プレチケ92 TEL:052(953)0777
芸文P.G. TEL:052(972)0430

ニコラス・ナモラーゼ Japan Debut ピアノリサイタル

日時:2019年6月9日 場所:東京文化会館 小ホール 14:00開演(13:30開場)
全席指定一般:¥3,000
全席指定学生券:¥1,000

チケットご購入はこちら。

演目

スクリャービン ソナタ 第9番 Op.68 ≪黒ミサ≫
バッハ シンフォニア 第9番 へ短調 BWV795
バッハ パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
シューマン アラベスケ ハ長調 Op.18
シューマン 暁の歌 Op.133
ナモラーゼ アラベスク(2018)
ナモラーゼ 練習曲第1,2,3番 (2015-2017)

主催:アイエムシーミュージック
協力:The Honens International Piano Competition & Festival
後援:在日ジョージア大使館

アイエムシーミュージック
03-6907-2535

チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:135-443)
イープラス https://eplus.jp
東京文化会館チケットサービス 03-5685-0650

動画・音源

インタビュー1:センター・ステージ

聞き手:パメラ・クーン(オペラ歌手)

―もともとはどこの出身ですか?
「ジョージアで生まれました。州ではなくて、国のほうの。でも生まれて数か月で両親とともにブタペストに引っ越しました。ですから、ハンガリーで育ちました。私の音楽的な教育もハンガリーで始まりました。それはとても特殊な種類の音楽教育でした。バルトーク、リゲティ、クルタークなどの素晴らしい音楽家の音楽とともに育ったといえるでしょう。もちろんリストの音楽に触れる機会もたくさんありましたが、リストについてはハンガリー以外でもよく演奏されていますよね。そのようなユニークな音楽環境は、私の芸術家としてのある一部…、ピアニストとしてよりもむしろ作曲家としての側面において大きな影響を与えてくれたと思います。
―どうして音楽に興味をもったのですか?ご両親も音楽家ですか?
「興味深いことに、父親は憲法学者、母親は社会科学者で、音楽家ではないのです。でも母は子供の頃にピアノを習っていて、私の音楽的な才能は間違いなく彼女から引き継いだものだといえるでしょう。」
―オペラのレコードに惹かれていたそうですね?
「はい、まだ赤ん坊だったころから、ヴェルディやワーグナーのオペラが大好きで、レコードプレイヤーから離れなかったそうです。7歳になって実際にピアノを弾き始める前から、音楽に対して非常に強い関心をもっていた子供でした。ビートルズ、AC/DCなどの音楽に取りつかれていたときもありました。子供ながらに、あまり保守的な嗜好ではなかったようです。でも7歳でピアノと出会ってから、興味の中心はクラシック音楽が占めるようになり、それは今でも変わっていません。もちろん特にジャズなど、他のジャンルの音楽も素晴らしいと思いますが、でも自分自身はクラシック音楽の世界に生きていると思います。友人の中にはジャズを演奏する人たちもたくさんいて彼らのことを尊敬していますが、私が演奏するのはクラシック音楽だけなので。」
―音楽が自分の人生だ、と気づいたのはいつですか?
「ピアノを習い始めてすぐ、ずっとこれをやって生きていきたいと気づきました。まだ7歳だったのですが、いろんな物事が急に動き出したのです。興味深いことに、高校を卒業して大学に入学する年齢になって、2つの選択しかありませんでした。音楽院に行くか、または大学にいって音楽と他の何かを2つ専攻するか、でした。それ以前に音楽以外のことをやるということについてほとんど考えたことがなかったため、音楽院に入学しました。しかし、その選択をしたことを、非常に後悔することになりました。というのも、自分がそれまでやっていたこと全てが、自分をよりよい音楽家にしてくれていたということに気が付いたのです。ただ座って何時間もピアノを練習し続けるということは、自分に何ももたらしませんでした。学部時代に最も役立ったことと言えば、必須科目であった哲学、美学、倫理の授業です。それらの授業を受けたことは、充実した経験だったといえるでしょう。ピアノに興味がなくなって他のことで気を紛らわせていた、ということではないのです。ピアノの練習以外での経験が、自分をよりよい音楽家にしてくれると分かったのです。それ以降、音楽以外の学びについては自分自身で選択していくことにしました。例えば本をたくさん読むことなどです。今でも様々な方法でその当時の遅れを取り戻そうと努力しています。コロンビア大学でいくつか授業を聴講しているのですが、最近では例えば「神経科学と仏教」という授業に大いに興味を掻き立てられました。
―それは、左脳が働くような活動なのでしょうか?右脳と左脳のバランスのため?
「そうですね、その通りです。作曲を始めたのはたった数年前なのですが、始めてみると、もっとずっと前からやっておけばよかったと思いました。子供のころは好き勝手に曲らしきものも書いていたのですが、10代になって止めてしまいました。でも、こうやって色々なことに広く興味を持って取り組んでいるほうが、結果的に自分がより良い音楽家、そしてよりよいピアニストになれると思うに至ったのです。」
―あなたの出身であるジョージアの民族音楽にも影響を受けたと伺いましたが。
「演奏家としてというよりは、作曲家として影響を受けたと思います。子供の頃からジョージアの民族音楽を聴いて育ちました。そして、これは決して愛国心などというものから言っているわけではないのですが、ジョージアの民族音楽は世界の音楽の中でももっとも不思議なもののひとつだと思っています。というのも、ジョージアの民族音楽は、西洋音楽とは全く違った方法で、しかも西ヨーロッパで調性が確立するよりも以前に調性和音に辿り着いた音楽だからです。興味深いことに、ジョージアの民族音楽には、楽器のために書かれた音楽があまり存在しません。ほとんどが歌曲でした。ということはつまり、平均律のチューニングシステムがあまり関係なかったのです。もちろん弦を半分にして、さらにその半分にすれば、倍音が発生します。でもジョージアの民族音楽には、完全なオクターブというものが存在しません。もっとも安定している重音は3度です。3度を二つ重ねると3和音になります。10世紀~11世紀には、ジョージアでは既に3和音からなる和声が存在していたのです。その当時西ヨーロッパではまだオルガヌムの時代であり、調性和声が確立されるのはもっとずっとあとになってからのことでした。もちろんそれらは全く異なったアプローチで調性和声へと辿り着きました。今は便宜的に“調性”という言葉を使っていますが、“三和音的”というほうがもっと正確な言い方かもしれませんね。ジョージアの民族音楽には他にも非常に興味深い点があります。ジョージアは山に囲まれた国です。ですから、地域同士のコミュニケーションが活発ではありませんでした。その結果、各地域で多様かつ個性的な音楽文化が発達したのです。また、ジョージアの民族音楽は非常に複雑です。ジョージアのポリフォニー音楽は、例えば4声のものもありますし、どの声部もお互いに完全に独立していながら複雑に絡み合うため、そこで生み出されるハーモニーには非常に驚かされます。また、そのような演奏を可能にする超絶的な歌唱技術にも大変びっくりさせられます。もちろんジョージアの民族音楽は既に私の人生の一部であったわけではありますが、自分が作曲をし始めるようになり、その影響は随所に入り込んでくるようになりました。さすがにジョージアの民族音楽を楽譜に書き起こすことまでは…少しはやってはみましたが、そのようにして取り入れることまではしないですが。特にポリフォニーと対位法の処理の仕方については、私自身が作曲する際のアプローチに大きな影響を与えてくれました。」
―大変興味深いですね。そのアイデアについては、あなたの作曲の先生であるジョン・コリリアーノ氏にも伝えましたか?
「もちろんです!実のところ、そのような技法を用いたヴァイオリンとピアノのためのソナタを作曲した際に、彼のレッスンも受けました。私がこれまで作曲した作品の中で、最もジョージア音楽に密接に関連している曲のひとつです。ですから、私が持っていったジョージア音楽を彼もたくさん聴くことになりました。彼は私というレンズを通して、ジョージア音楽を知ることになったのです。私が感じ、分析し、そこから何を引き出して自分の音楽に取り入れたか、ということを通してですね。」
―あなたは生まれてすぐにブタペストに引っ越したというのに、母国の要素がこれほどまでにあなたに根付いているというのはとても興味深いですね。
「ジョージア語は私の母語ですし、両親とはジョージア語で会話します。自分のことはジョージア人だと思っていますが…、だからといって国民意識が強いという訳でもないですが…。もし誰から『何人ですか?』と尋ねられれば、おそらくヨーロッパ系ニューヨーカーと答えるでしょう。それが一番自然に感じられます。とはいっても、やはり自分のことをジョージア人であるとも感じます。もしかしたら、音楽のせいかもしれません。私はジョージアの民族音楽や民族舞踊に大きな魅力を感じていますし、自分と自分が生まれた国との間に強い繋がりを感じさせてくれるものが音楽だからです。」
―エマニュエル・アックス氏とはいつどのようにして出会いましたか?
「彼とはティーンエイジャーの頃、ブタペストで出会いました。彼の前で演奏する機会があったときに『ジュリアードに来てみないか』と声をかけてもらいました。色々な事情により学部課程では行けませんでしたが、修士課程で入学しました。それ以来ずっとニューヨークを拠点にしています。」
―彼が声をかけてくれたとき、わくわくしましたか?
「はい、もちろんです!それ以前から彼のことは非常に尊敬していましたし、夢のような出来事でした。」
―作曲家として、ブラックホールやアインシュタインの「相対性理論」「重力理論」に影響を受けたと聞きました。どこからそのようなアイデアが湧いてきたのでしょうか?
「ニューヨーク市で開催されているチェルシー音楽祭から委嘱を受けたときです。ある年のテーマが『重力』でした。というのも、その年は『ニュートン力学』の論文の記念イヤーだったからです。それで、このテーマと関連している作品を作曲してほしいと依頼を受けたのです。そのときに、作曲するにあたって、できるだけ不自然だったり強制されたように聞こえないような方法を考えだすと同時に、この物理的なコンセプトを何かしら意味深い方法で音楽的なアイデアに変換したいと思いました。ひとつの参考となったのがリゲティです。というのも、彼はカオス理論など様々な数学的な概念に影響を受けていましたから。彼は『なんて頭のよい作曲家かしら!』と聴衆に思われるためではなく、より興味深くドラマティックな物語を作り出すためにそれらのコンセプトを用いました。例えばリゲティの作品には、冒頭は普通の状態で始まるものの、途中で“歯車”に何かが問題が発生し、そこから全てがコントロール不能になるような作曲技法がよく見られますが、それはカオス理論に影響を受けているといえるでしょう。それは、数学を音楽に変換することが目的ではなく、聴衆が思わず引き込まれるようなドラマティックな効果を生み出すためなのです。そうすることで、“新しい語り口”が生まれるのです。私も作曲においてそのようにしたいと思いました。例えば、大きな重力質量をもつ物体との距離によって生じる時間の変化にインスパイアされて、ある音楽のモチーフが舞台上で空間を移動するにつれてどのように変化するか、と考えました。ですから、ある考えや理論をどのようにして純粋に音楽的な効果に変換するかという点と、それらが言葉での補足説明なしに説得力をもった作品として成り立つかどうかという点について、いつも考えています。というのも、音楽作品はそれ自体として成立しなければならず、説得力をもたせるために言葉での説明を付け加えてはならないと思うからです。それが私の作曲においての目標です。」
―ビジュアル作品にもインスピレーションをうけたそうですね。映像作品にも作品を書いたと伺いました。映像作品に付随するものとして作曲する場合と、それ以外の場合と、違いはありますか?
「映像作品はとてもユニークだと思います。というのも既に完成した作品を受け取って、それに合わせて作曲しなければなりませんから。やり取りしながら作業を進めていくという他のコラボレーションの形式とは違います。もちろん映像作品でも、完成を待たずに一部の分だけ先に見せてもらってイメージを掴むことはあるかもしれませんが、いずれにせよ作曲を始める前にそれぞれの場面の尺を確認してから実際に作曲に取り掛かることになります。なので、ほぼ完成している作品を前にして、作曲家は自身のイメージをその作品世界に合わせなければなりません。それは他の作曲とは全く異なったアプローチです。そこで問題になるのが、自分の勝手なイメージを押し付けるのではなく、どのように既にそこにあるものを際立たせるか、ということです。目を閉じて自分が作曲した音楽だけを聴いてみて、映像作品に映し出されているイメージが自分の頭の中に浮かんでくるか?というような実験もしてみました。以前、素晴らしい画家 ファビエンヌ・ヴェルディエ氏による抽象的なショートフィルム “Walking Painting”に曲を提供しました。彼女は素晴らしい画家で、重力に関係する興味深い絵画技法を発展させました。絵具の物質性を利用するものです。彼女は絵具を漏斗(じょうご)に入れ、遠くからキャンバスに落とします。絵具がキャンバスに落ちると、振動や火山のような形状が生み出されます。彼女は漏斗の傾きや方向などを調整するのですが、映像の中で絵具がキャンバスに落ちる瞬間と、それが作り出す美しい模様がスローモーションで映し出されます。それをどのように音楽に反映させるかと考えたときに、2つの方法がありました。1つ目は、映像で描かれているものを、できるだけ忠実に真似る方法。映像の分野では“ミッキーマウスのように”とも言いますが。よく、アニメの中で登場人物の動きに合わせて音がつけられますよね、あれです。あるいは、2つ目の方法、つまり少し映像から距離を置いて、映像の中で起こっていることを抽象的に表現する方法です。後者の方法のほうが、彼女の考えと合っているように思えました。その結果、映像の中で起こっていること、既に自分が見ているものをそのまま真似るのではなく、彼女が美術作品を作っているときの気持ちにできるだけ近い音楽を作ろうと思いました。映像において音楽が果たす役割というのは、物事をそのまま音楽に置き換えて描写することではなく、既に自分が見ている物事について新しい意味づけを加えることだと思います。」
―ホーネンスの優勝者として、これからレコーディングの予定はありますか?
「はい、まずホーネンスがコンクールの時の演奏をまとめたものをCDとして発表します。それからハイぺリオンとも録音の話が進んでいて、スケジュールやプログラムについて相談しているところです。とてもわくわくしています。」
―自作の作品も録音する予定ですか?
「そうですね、もしかしたらそうなるかもしれません。今は様々な可能性を模索しているところです。デビューCDとして最良のプログラムを練っているところです。カーネギーホールやウィグモアホール、コンツェルトハウス・ベルリンなどで予定されているリサイタルでは、コンポーザー=ピアニスト、ピアニスト=コンポーザーとしても知ってもらうために、自作の作品も披露するつもりです。」
―ピアノに作曲にお忙しい日々と思いますが、普段はどんな1日を送っているのですか?
「ピアノの練習は1日に4時間までにしています。少なくともピアノに向かっての練習という意味ですが。それ以上は、生産性が落ちると思うので。収穫逓減の法則ですね。でも鍵盤から離れてのメンタル・プラクティスはたくさんします。実際、この方法は私の練習の大半の時間を占めています。もちろん、作曲をすると決めて取り掛かる時間もありますよ。でも他にも生活の中で習慣になっているものもあります。例えばヨガ、気功、太極拳、それから瞑想もします。」
―内なる自分を見つめるんですね?
「そうですね、特に次から次へと準備しなければならないコンクールの最中だったり、飛行機を降りた直後に本番がある日には…。音楽家というのは大変な職業です。不快なものともうまく付き合わなければなりません。何日もよく眠れない日が続いたり、ホテルのベッドがあまり心地よくなかったとしても、ひとたび舞台に出ると、聴衆を別の世界へと連れていかなければならないので。」
―ニコラスさん、今日は興味深いお話をありがとうございました。

今回のリサイタルプログラムについて

※オリジナルテキスト(外部リンク・英文)はこちら。

ージョージア(旧グルジア)で生まれブダペストで育ったそうですね。ハンガリーの作曲家やジョージアの民族音楽に影響を受けたそうですが、具体的にどのような点においてでしょうか。
面白いことに、私のジョージア民族音楽への興味は、民族音楽学が必須科目であったブダペストのリスト音楽院で勉強していた結果に起因する部分があると思います。バルトークとハンガリーの民族音楽の関係を勉強していたときに、ジョージアの民族音楽も違った視点で見るようになり、のちに私自身の作曲様式に影響を与えることとなりました。ハンガリーの作曲家についていえば、おそらくリゲティに最も影響を受けていると言えるでしょう。私は彼の作品に非常に魅了されており、博士論文のテーマもリゲティの後期ピアノ練習曲を選んだくらいですから!
ーどこでどのようにして音楽の勉強を始めましたか?また、作曲に興味を持ったのはいつごろですか?
子供の頃からいつも音楽に夢中で、レコードプレーヤーの前に何時間も座っていました。7歳になったとき、何か楽器を習いたくなり、ピアノが正しい選択だと感じました。何年か個人レッスンを受けたあと、リスト音楽院のプレカレッジプログラムに入りました。音楽の勉強を始めた最初の何年かは常に何かしら曲のようなものを書いていましたが、ティーンエイジャーになったころに止めてしまいました。きちんと作曲を勉強し始めたのはジュリアード音楽院修士課程に在籍していたときです。そこでの実験的な雰囲気や他分野にまたがるコラボレーションが、ピアノ以外にも目を向けるきっかけとなりました。また、ジュリアードでは電子音楽も勉強し、それは今や作曲家としての私の活動の重要な部分を占めています。
ーピアノをエマニュエル・アックス氏他、作曲をジョン・コリリアーノ氏に師事したそうですね。以前、アックス氏に彼の「変奏曲」のCDについてインタビューしたことがあるのですが、その際に作品に内在する「感情の幅(emotional scope)」が話題になりました。あなたもご自身のコンサートのプログラムにおいて、同様のことを意識しているのでしょうか。
それはコンサートのプログラムを組み立てる際に、間違いなく重きを置いている点ですね。たまたま自分が好きな曲を寄せ集めるだけではなく、プログラム全体を通してドラマチックな物語を生み出せるよう、作品に内在する感情的な部分に注目し、曲と曲とがどのように関連しているかという部分に特に興味があります。
ーバッハ、ブラームス、リスト、リゲティ、ラウタヴァーラ(訳注:フィンランドの現代音楽作曲家;1928年生-2016年没)、そしてコンロン・ナンカロウ(訳注:アメリカ生まれ、メキシコを拠点に活動した現代音楽作曲家;1912年生-1997年没)の作品まで含むあなたのソロ、室内楽、ピアノ協奏曲のレパートリーは、若いピアニストとしては実に幅広く、また多様ですね。これらの作品は感情的にも様式的にもとてもたくさんのものを含んでいます。あなたはきっと物事を広く追及することが好きで、挑戦を厭わないタイプの芸術家であるに違いないと思うのですが、合っているでしょうか?
もちろんです!私は非常に貪欲なタイプで、あまり知られていない作品も含め、ピアノのために書かれたどのような作品にも大いに興味をそそられます。実際、私の興味はピアノだけにとどまってはいません。交響曲への敬愛から、一時は指揮も勉強していたくらいです。しかし、今は指揮の勉強からは少し離れています。ピアノと作曲だけでもやらなければならないことがたくさんありますから!また、自分でも少し無謀だとも思います。というのも、10代初めからいつも、ショパンの練習曲のゴドフスキー版や、リゲティの練習曲など、とてつもなく難しい曲に挑戦しているのですから!
ーカーネギーホールでのリサイタルデビューに向けて、どのようにプログラムを考えましたか?(訳注:今回の日本ツアーはカーネギー公演と同じプログラムです!)
このリサイタルプログラムは、異なった時代に作曲された作品と作品の音楽的な関係性を探究するものです。例えばスクリャービンとバッハというように、これまでの演奏会でも既に試した組み合わせも含まれます。また、私が作曲した「アラベスク」とシューマンの同名の作品は曲の構成が似ているため、この2曲を並べることも自然だと感じました。これらの作品を演奏する順番はとても伝統的だとはいえないものですが、ひとつの作品が次の作品へと移り変わっていく様子が面白いのではないかと思いました。
ースクリャービン、特に彼の「黒ミサ」ソナタに惹かれる理由はなんでしょうか?また、どうしてバッハのシンフォニアヘ短調と組みあわせようと思ったのでしょうか。
スクリャービンは、大好きな作曲家の一人です。ショパンに強く影響を受けた初期の音楽語法から、伝統的な和声法を拡張し、そして遂にはそれを超えてしまう非常に実験的なアプローチまで、彼の人生における個性的かつドラマティックな様式の変化に魅了されています。この進化の過程におけるそれぞれの段階の音楽は驚くべきものがあり、彼の作曲の方法から非常にたくさんのことを学びました。特に優しさと恐怖とが見事に共存している「黒ミサ」ソナタなどの後期の作品には強く惹かれます。
ー今回のリサイタルでは、ご自身作曲した3つの「練習曲」と合わせて、最近作曲された「アラベスク」も演奏されますね。この作品はドビュッシーの同名の作品と関連があるのでしょうか。
私の作品は、装飾的でらせん状に組み合わされた模様からなる視覚芸術としてのアラベスクの原理に基づいているため、ドビュッシーを意識的に参考にした訳ではありませんが、彼がピアノのために作曲した2つのアラベスクの1曲目とうねるようなテクスチュアが似ていると感じる方もいらっしゃるかもしれません。
ー2018年ホーネンス国際ピアノコンクール優勝者への副賞として、マネージメント、コンサートのブッキング、ハイぺリオンレーベルへの録音などを含むアーティスト支援プログラムが含まれます。今後の予定のハイライトはなんでしょうか。また録音する曲目は決めましたか?
カーネギーホールでのデビューリサイタルのあと、ロンドンのウィグモアホール、トロント・ケルナーホール、コンツェルトハウス・ベルリン、東京文化会館でデビューリサイタルを開催し、ロンドンフィルとの共演も予定しています。コンクールでの録音の一部は、もうすぐホーネンスのレーベルより発売となり、3月にはスタインウェイのレーベルでシューマンと私の作曲した作品とを録音します。ハイぺリオンでは、これまで録音されたことのない、ヨーク・ボウエン(訳注:1884-1961、英国の作曲家)の作品を取り上げる予定です。彼は素晴らしい作曲家で、彼の作品はもっと頻繁に演奏されてしかるべきだと思います!

プログラム・ノート ― ニコラス・ナモラーゼ

今回のリサイタルでは異なる時間が交差する際に顕れるそれぞれの音楽の関係性を明示したいと思います。プログラム冒頭のスクリャービン『黒ミサ』の次にバッハ『シンフォニアヘ短調』を並べたのも、異なる時代の作曲家による作品の特徴の違いと共通点を浮きだたせるためです。また、『シンフォニア』はよりスケールが大きな、バッハの偉大なる作品『パルティータ ホ短調』とスクリャービンを繋ぐ橋渡しとしても機能しています。

プログラムの後半では、シューマンの全盛期の作品と最晩年の作品とを組み合わせました。『アラベスケ』はシューマンの作品の中でも最も穏やかな作品で、『暁の歌』は最も野心的な作品だといえるでしょう。プログラムの最後はシューマンの同名作品と似た構成からなる自作曲『アラベスク』と『練習曲第1番、2番、3番』で締めくくります。

アレクサンダー・スクリャービン (1871-1915)

ピアノ・ソナタ 第9番 作品68 (1913) 

通時的視点からスクリャービンの数々の作品をたどるときに興味深いのは、この作曲家が生涯を通じ段階的に音楽様式の劇的な変化を遂げたことである。初期の作品はショパンに深く影響を受けた音楽語法により書かれているが、一方で後期の作品においては、伝統的な調性音楽の境界線を拡大するかのような実験的なアプローチが見られる。共感覚、神智学への興味、そしてロシア象徴主義への熱中は彼の作曲に直接影響し、敗血症によって悲劇的に短い生涯を終えるまで、彼は独創的且つ神秘的な音楽語法を発展させていった。

『黒ミサ』としても知られる『ピアノ・ソナタ 第9番』は、彼の最も有名なピアノ作品の一つである。この『黒ミサ』と言うタイトルはスクリャービンがつけたものではないが、楽曲中に悪魔を喚起するような要素がいくつも存在することを理由に彼もこれを承認した。冒頭では柔らかさと恐怖の間を行き来している。曲が展開するにつれて容赦なく加速しながらテクスチャーは厚みを増しヒステリックな混乱へと突入する。やがてグロテスクな行進曲へと辿りつき、不協和音を多用した圧倒的なクライマックスに到達する。

ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750)

シンフォニア 第9番 ヘ短調 BWV795 (1723)

バッハの『インヴェンションとシンフォニア』は鍵盤上の技術を向上させるのみでなく、幾つもの異なる作曲形式を理解することを目的とした30曲からなる教則曲集である。その中でも特に大胆に半音階を用いた「シンフォニア 第9番 ヘ短調」は注目すべき作品の一つである。斬新で並外れた不協和音のパレットを用いながら幾度も転調を経て、最後の最後で主調に戻る。

パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830 (1731)

  • I. トッカータ
  • II. アルマンド
  • III. コレンテ
  • IV. エール
  • V. サラバンド
  • VI. テンポ・ディ・ガヴォット
  • VII. ジーグ

全部で6作品ある舞踏組曲『パルティータ』は、バッハがライプツィヒの聖トーマス教会にカントルとして仕えた1726年から1731年の間に作曲された。この作品に加えて『イギリス組曲』『フランス組曲』と3つあるバッハの鍵盤楽器のための組曲において最後に作られた組曲であるにもかかわらず、これがバッハ自身が監修し出版された最初の作品である。第一曲が全て異なった形式で書かれた上、いたるところに多種多様な舞曲がちりばめられた『パルティータ』は構成面において他の2つ組曲より創造的であると言える。

『パルティータ』の中で最後の組曲であるこの『第6番 ホ短調』は、このジャンルにおいてバッハ最大の偉業である。第一曲目の「トッカータ」では劇的で雄弁なセクションの間に、拡張されたフーガが登場する。「アルマンド」では巧妙な半音階が用いられ幾つもの調性の合間を縫うように進む。続く「コレンテ」は繊細かつ軽快なパッセージワークが特徴。エネルギッシュな「エール」によって、この組曲の重心であり深遠で多彩な表情を持つ「サラバンド」が導かれる。快活で優雅な「ガヴォット」が力強い推進力を持ったフーガ形式の最後の曲「ジーグ」へと聴衆を誘う。

ロベルト・シューマン (1810-1856) 

アラベスケ 作品18 (1839)

シューマンの多くの作品と同様にこの曲でも次々に様々な雰囲気やキャラクターが描かれている。主調であるハ長調の繊細で流麗なパッセージと暗く情熱的なセクションとが転調によって交互に現れてくる。この劇的に語られる結末と感動的で思索に耽るようなコーダはシューマンのピアノ音楽を象徴する時である。

暁の歌 (1853)

  • I. Im ruhigen Tempo (落ち着いたテンポで)
  • II. Belebt, nicht zu rasch (元気に、速すぎないように)
  • III. Lebhaft (生き生きと)
  • IV. Bewegt (動きをもって)
  • V. Im Anfange ruhiges, im Verlauf bewegtes Tempo
    (始めは穏やかに、それから動きのあるテンポで)

シューマンが生きた時代の多くの人々の間では、彼の晩年の作品が難解で奇妙なものであると評価されていた。そして、その晩年の作風の変化が彼の精神的衰弱に起因するものと考えられていた。しかし、近年ではそういった評価に反して豊かで大胆な和声や厳選されたテーマ素材、そして後世に残る作曲語法など、当時見落とされていた作品の質について再評価がなされている。このような様式の特質のいくつかが彼の最後から2番目の作品である『暁の歌 作品133』に凝縮されている。シューマン自身は「夜明けと朝の訪れに対する感覚を描いた作品だが、絵画的というよりもむしろ内的な感情を表現している楽曲である」と述べている。

第一曲は静謐な交唱歌が、静かだが耳に残る不協和音と調和せず、シューマン晩年の作風の主題ともいえる過去と未来とを同時に見つめるような様相を示す。第二曲はこの曲中において最も謎めいており様々なテクスチャーやキャラクターの間を往き来しながら最後にようやく主調へと辿り着く。快活な第三曲は独特なギャロップのリズムで展開する。第四曲は旋律と伴奏のテクスチャーに基づいた心を打つピアノのためのリート/無言歌である。終曲は内省的でコラールのような始まりが第一曲の雰囲気を呼びさまし、ほとんど気づかれないように加えられていく穏やかで絶え間ない音の流れが、やがてテクスチャー全体に浸透していき曲が閉じられる。

ニコラス・ナモラーゼ (1992- )

アラベスク (2018)

この曲『アラベスク』はヴィジュアル・アーツにおいて定義される《アラベスク》の特徴である装飾的でらせん状に織り交ざった模様に基づいて作曲されている。ピアニストは常に手を交差させ密接に絡み合った音型を弾き、個々の要素は両手の強弱の変化によってのみ区別される。上昇するセクションと下降するセクションの二つが交互に現れ、鍵盤の右半分の音域で振動を生み出す。音色と響きの穏やかな変化を探求すべく、マウリッツ・エッシャー(*訳注、オランダの画家/版画家)の『メタモルフォーシス』を連想させるような方法で曲全体を通してごく微妙なテクスチャーの変化が起こる。

  • 練習曲 第1番 “Major Scales” (2015)
  • 練習曲 第2番 “Mostly Triads” (2017)
  • 練習曲 第3番 “Moving Mirrors” (2017)

それぞれの『練習曲』は、テクスチャーや音型の基礎となるピアノ特有の技術的な課題に発想を得ている。第1番“Major Scales”(長音階)では様々な調の異なる音階が、初めは両手同じ方向に、しかしすぐにばらばらになりそれぞれ違う方向へと跳ね返りながら移り変わる。次第に混沌とする左右の手の動きはやがてパッセージの崩壊を導く。第2番“Mostly Triads”(主に三和音)では、様々な種類の和音からなるテクスチャーが交互にあらわれる。常に手の位置を変えるための練習曲であり、鍵盤の高音域から始まり徐々に下降し低音域で終わる。第3番“Moving Mirrors”では、短い音型が何度も転回され、ピッチ、アクセント、音域、メロディーの形やリズムがゆがむ。これらの変化の度合いが増すにつれパッセージはますます狂乱状態へと向かう。

Notes on the program by Performer

This recital presents a number of cross-temporal musical relationships, opening with a pairing of Scriabin’s “Black Mass” Sonata and Bach’s Sinfonia in F minor that highlights features in the work of one composer typically associated with the other — in this case, the intricate polyphonic textures in Scriabin’s Sonata and the daring chromaticism of Bach’s brief Sinfonia. The Sinfonia also serves as a bridge from the Scriabin Sonata to another large-scale work, Bach’s magisterial Partita in E minor.

The second half of the program juxtaposes a work from Schumann’s prime with one of his very last pieces. While the Arabeske is among Schumann’s gentlest works, the Gesänge der Frühe (Songs of Dawn) is one of his most experimental. This is followed by my Arabesque, a piece with structural similarities to Schumann’s work of the same name, before the program concludes with three of my Etudes.

Alexander Scriabin (1871-1915)

Piano Sonata No. 9, Op. 68 (1913)

Scriabin’s oeuvre constitutes a fascinating example of a gradual yet dramatic stylistic transformation across a composer’s lifespan. While his early works grew out of a musical language influenced heavily by Chopin, his later music displays a highly experimental approach that stretches the boundaries of traditional tonality. By the end of his life – tragically cut short by septicemia – he had developed a unique and mystical musical language where his synesthesia, interest in theosophy and involvement in the Russian symbolist movement became primary influences on his compositions.

His Piano Sonata No. 9, also known as the “Black Mass” Sonata, is among the most celebrated of his piano works. While the nickname was not coined by Scriabin, he approved of it given the many elements of the work that seem to evoke the Satanic. The piece at first flits between moments of tenderness and terror, and as the work progresses an inexorable acceleration and thickening of the texture hurls the music into a hysterical whirlwind, arriving at a grotesque march before a dissonant and crashing final climax.

Johann Sebastian Bach (1685-1750)

Sinfonia No. 9 in F minor BWV 795 (1723)

Bach’s Inventions and Sinfonias are a series of 30 didactic pieces intended to develop not only a player’s technical capacity at the keyboard but also their understanding of a number of different compositional forms. Among the most remarkable of these is the Sinfonia No. 9 in F minor, one of Bach’s most audaciously chromatic works. With its daring and unusually dissonant harmonic palette, the Sinfonia constantly undergoes a number of modulations and only returns to the home key at the very end of the brief work.

Partita No. 6 in E minor BWV 830 (1731)

  • Toccata
  • Allemande
  • Corrente
  • Air
  • Sarabande
  • Tempo di Gavotte
  • Gigue

Bach’s Partitas, a set of six dance suites, were written between 1726 and 1731 while he served as Cantor of the St. Thomas Church in Leipzig. Despite being the last set of suites that Bach composed, they were in fact the first works to be published under the composer’s supervision. Of Bach’s three sets of keyboard suites (the others being the English and French Suites) the Partitas are the most creative in terms of structure, with several different styles of opening movements and a variety of interspersed dances featured across the set of six suites.

The final suite of the set – the Partita No. 6 in E minor – is among Bach’s greatest achievements in the genre. In the opening Toccata an extended Fugue is framed by dramatic declamatory sections. The Allemande weaves its way through a number of key areas with a chromaticism of beguiling subtlety, while the following Corrente revels in delicate, nimble passagework. An energetic Air precedes the suite’s center of gravity: the profound and highly expressive Sarabande. A sprightly, graceful Tempo di Gavotte brings the listener to the final movement: a powerfully driven Gigue in the form of a Fugue.

Robert Schumann (1810-1856)

Arabeske Op. 18 (1839)

As with many works by Schumann, the Arabeske presents a variety of moods and characters within a short timespan. Charmingly delicate and fluid passages in the home key of C major alternate with darker, passionate sections in foreign keys. The conclusion of this dramatic narrative, a touching and pensive coda, is an iconic moment in Schumann’s piano music.

Gesänge der Frühe (1853)

  • Im ruhigen Tempo
  • Belebt, nicht zu rasch
  • Lebhaft
  • Bewegt
  • Im Anfange ruhiges, im Verlauf bewegteres Tempo

Schumann’s contemporaries largely considered his last works perplexing and bizarre, attributing the change in his compositional style to the decline in his mental health. However, recent reappraisals of his late oeuvre – unclouded by the assumption that his manic depression would affect his compositional skill detrimentally – discuss previously overlooked qualities of these works that include a rich and audacious harmonic palette and a greater economy in thematic material, as well as the anticipation of compositional procedures of later composers. Some of these stylistic hallmarks are encapsulated in his penultimate work, the Gesänge der Frühe (Songs of Dawn) Op. 133, works that Schumann called “musical pieces that describe feelings at the approach and growth of morning, but more as expressions of feeling than painting.”

The sparse antiphony of the opening movement is at odds with its quietly jarring dissonances, a simultaneous glance to the past and the future that is at the heart of Schumann’s late style. The second movement is arguably the most enigmatic of the set, constantly flitting between different textures and characters and avoiding settling on the tonic key until the very end. The lively third movement is driven by a distinctive galloping rhythm, while the fourth is a poignant Lied for piano that maintains a song-like texture throughout. The reserved, chorale-like opening of the final movement refers back to the atmosphere of the first, before a gentle stream of notes – entering at first almost imperceptibly – begins to fully permeate the texture, carrying the work to its conclusion.

Nicolas Namoradze (b. 1992)

Arabesque (2018)

The Arabesque is based on principles that define arabesques in visual art: those of ornate, spiraling and interlacing patterns. The pianist’s hands are superimposed throughout the work, playing intertwined figurations where the individual strands can only be distinguished by dynamic shifts between the hands. Two types of sections alternate with each other – one ascending, the other descending – creating a slow oscillation in the upper half of the keyboard. A study in gentle changes of color and sonority, the shifts between various textures occur extremely gradually throughout the work, in a manner reminiscent of M. C. Escher’s Metamorphosis prints.

  • Etude I, “Major Scales” (2015)
  • Etude II, “Mostly Triads” (2017)
  • Etude III, “Moving Mirrors” (2017)

Each piano etude is inspired by a specific technical, pianistic challenge that serves as a basis for the textures and figurations. In “Major Scales”, the hands switch between different types of scales in various keys, at first in a coordinated manner but soon falling out of sync and bouncing off each other in different directions. An increasingly chaotic interaction between the two hands leads to the eventual disintegration of the passagework. “Mostly Triads” alternates between various types of chordal textures. A study in frequent changes of hand position, the etude fades in at the top of the keyboard and makes its way downwards, departing at the bottom of the piano’s register. In “Moving Mirrors”, short figurations undergo several forms of inversions and distortions in pitch, accentuation, register, melodic shape and rhythm, and as the rate of these transformations increases the passagework gets increasingly frenetic.